演歌への道「砂に書いたラブレター」小島健治
削除されたビデオが多くリンク切れを修正しましたが、またリンク切れが出るでしょう。


少しアメリカ黒人音楽ニューオリンズ・スタイルの、日本の歌謡曲への影響を書いてみたいと思います。YouTubeからいろいろなサンプルを引いていますから、具体的に音楽を聴きながら読み進めてください。

Gene Austin "Love Letters In The Sand" 1931


やはり時間軸で追って行くのがいいかもしれません。始めはジーン・オースティン1931年の「Love Letters In The Sand」です。この時点では日本の歌謡曲とはまったく関連がありませんが、この話のスタートです。ジーン・オースティンは20世紀初期から中期のアメリカ人シンガー・ソングライターで、ナット・キングコールやフランク・シナロラとか、ジャズ・ボーカルで歌われている曲がいろいろあります。たしかリンゴ・スターもソロ・アルバムで彼の曲「バイバイ・ブラックバード」を歌っています。いかにも20世紀始め頃の雰囲気が漂っています。

次はニューオリンズの黒人R&Bシンガー、ファッツ・ドミノ1955年のヒット「Ain't That A Shame エイン・ザット・ア・シェイム」です。こちらはニューオリンズと言うローカルのシンガーが全米で大ヒットした曲で、ファッツ・ドミノは、現代ではロックン・ロールを作ったひとりと言う評価です。

Fats Domino "Ain't That A Shame" 1955


さて次はパット・ブーンが歌う「Love Letters in the Sand 砂に書いたラブレター」のニューオリンズ・スタイルにアレンジしたリバイバル・バージョンです。この曲は1957年、ビルボード5週1位で3年以上ヒット・チャートに留まっていたそうで、かなりのヒットですね。たぶん聴いた事はあると思います。

Pat Boone "Love Letters in the Sand" 1957


メンフィスの白人エルビス・プレスリーが、黒人の曲を歌って一躍スターになった後、沢山の白人が黒人の曲を取り込んでヒットを狙った流れと思われますが、メンフィスのワイルドを売り物にしたエルビに対して、パット・ブーンは東部のおぼっちゃん(実際に開拓時代の英雄ダニエル・ブーンの家系だそうです)と言う、ちょうど反対側の設定のキャラクターで売り込んだのでしょう。実はファッツ・ドミノの「Ain't That A Shame」もパット・ブーンは歌っていて、そこそこのヒットだったようです。

1957年は、アメリカは絶好調の時代に進んでいたと思われていた頃で、日本も戦後十数年少し落ち着いて来て、日本人の多くはアメリカの中産階級のような生活が送る事が理想だった時代です。情報の遅れはだいぶあっても、たぶん1年2年後くらいには、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」は、日本国内でもだいぶポピュラーな曲になっていたでしょう。ファッツ・ドミノはと言うと、その当時の日本では、黒人のポピューラー音楽はほんとに一部のマニアックな人達が愛好する程度で、大半の日本人は聴いた事もないくらいでした。

「砂に書いたラブレター」を日本では誰が歌っていたのか、たぶんディック峰か旗照夫かと思ってウェブで調べてみた処、やはり二人とも歌っていました。翻訳だったのか英語で歌っていたのか、テレビでどちらも見たような記憶はあるのですが、レコーディングはウェブでは見当たらなかったのではっきりとは分かりません。ディック峰は戦前のジーン・オースティンから、旗照夫はパット・ブーンからだったようです。

2025年、旗照夫の「砂に書いたラヴ・レター」YouTubeで見つかりました。


ディック峰:恋の砂文字(Love Letters In The Sand)
[00:31:06]から始まります。


1960年代(昭和35年)から、歌謡曲にニューオリンズ・スタイルのバックメロディとピアノの三連打と言うスタイルが、形作られて行きます。1960年の「雨に咲く花」(オリジナルは戦前のヒット曲、関種子の「雨に咲く花」)が年代で見ると一番早いようですが、何が始めのきっかけだったのか、私は資料を持っていません。やはり何と言ってもフランク永井の「君恋し」は大きな影響を残したと思われます。これもオリジナルは大正期に作られ昭和初期にヒットした二村定一がレコーディングした曲です。1957年「有楽町で逢いましょう」でデビューして、低音の魅力と言われたフランク永井が、1961年にリバイバル・ヒットさせ、その年の日本レコード大賞グランプリを獲得した曲です。

このページをはじめに書いた頃、井上ひろし1960年の「雨に咲く花」が見つからなくて省きましたが、YouTubeにあったので追加しました。


参考資料:戦前のヒット曲関種子のオリジナル「雨に咲く花(タンゴ調)」1935年。
戦前のヒット曲にはタンゴ調もいろいろあります。


フランク永井「君恋し」1961


参考資料:二村定一「君恋し」昭和始め


1961年松島アキラのデビュー曲「湖愁」も、歌謡曲のニューオリンズ・スタイルでは外せない大事な一曲です。松島アキラはスピッツと言う愛称で呼ばれて、中ヒット程度の曲がいくつかあったように思います。

松島アキラ「湖愁」1961年


1961年2月に亡くなった映画俳優の赤木圭一郎に「流転(オリジナル上原敏)」と言う、ニューオリンズ・スタイルにアレンジしたリバイバル曲があります。1961年のかなり早い時期か、60年の録音かもしれないですが、まあとにかく、上記の3曲からスタートしたと言っても良いでしょう。

1961年はアメリカではジョン・F・ケネディが大統領に就任した年で、日本のヒット曲では、坂本九「上を向いて歩こう」、植木等「スーダラ節」、石原裕次郎&牧村旬子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」などがあります。さて続くニューオリンズ・スタイルは少しづつ日本的な味付けがより濃くなって行きます。

1960年に三度笠、又旅ものでデビューした橋幸夫が、少しづつ路線を変えつつあった頃


克美しげるは、始めロカビリーや「霧の中のジョニー」「片目のジャック」など日本語に翻訳したアメリカ曲を歌っていましたが、歌謡曲に転向。「さすらい」で大ヒット。後に羽田空港の駐車場に止めていた車に隠していた女性の死体が発覚して逮捕、実刑判決。

克美しげる「さすらい」1964


この頃になってくるともう疑う人のないくら、このスタイルは日本の曲になって、歌謡曲に浸透して行きます。いくつものリバイバル曲で売った佐川満男の「無情の夢」や、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」とミックスしたようなアレンジの北原謙二の「若いふたり」など、他にもいくつもありますが割愛します。

いよいよ本格的な演歌の登場です。

鈴木清順監督の日活映画「東京流れ者」を、何人かの歌手が競演しています。やはり竹越ひろ子版が良いようで。もともとは作者不詳の曲ですが、1965年の映画で使われてヒットしました。

竹越ひろ子「東京流れ者」1965年


演歌歌謡曲のスタンダードと言っても良い、矢吹健のデビュー曲「あなたのブルース」は、森進一スタイルと言っていいのか?森進一も「女のためいき」や「おふくろさん」で、ニューオリンズ・スタイルの影響下にあります。

矢吹健「あなたのブルース」1968年


現在では宇多田ヒカルのお母さんと言った方が通りが良さそうな藤圭子の「あなたのブルース」カバー・バージョン。基調は残っていても、どんどん変わって行きます。

藤圭子「あなたのブルース」1970年


日本の心と思っていたのが、実は違うオリジンがかなり影響したりしている事って他にもいろいろあって、歌謡曲ではラテンの影響の流れというのもあります。始めラテン・コーラス・グループが歌謡曲に転向して、その雰囲気を受けついだりとかが多いのですが。

これもニューオリンズ・スタイルの影響下と言っても良いでしょう。ぜひ加えたい1曲。練馬少年鑑別所で歌われていたと言われる曲 園まり、藤圭子等も歌っています。

緑川アコ「夢は夜ひらく」1966年